ちょうどいい生き方

ドキュメンタリーパンクバンドのGt/Voによるドキュメンタリー

春の夜

23時頃、風呂から上がり、

まだ飲み足りないので晩酌を続けようとしたが、

冷凍庫の氷が尽きてしまったので、

濡れ髪のまま、買い出しに行った。

 

24時閉店の近所のスーパーは

仕事帰りの人や、私のように濡れ髪のままふらっと来てる人がぽつぽつといて

店員さんは品物の整理などに勤しんでいた。

 

駅から離れた住宅街のスーパー。

酔っ払いや、物騒な輩はおらず、

ただ穏やかな時間が流れていた。

 

買い物を終え、店の外に出ると、

春の夜の心地良い風が吹いていた。

 

理由はわからないけど、

その時間がとてもちょうどいいな、と思った。

 

ただそれだけのこと。

お互い様の精神

何事においても「お互い様の精神」が大事だと思っている。

 

雇用する側と雇用される側。

 

働いてもらっている。

働かせてもらっている。

 

互いにそう思うことがベストな状態。

 

ただ働く上で、不満が積もるなどすると、

 

働かせてやってる。

働いてやってる。

 

と、どちらか、あるいは両者の意識が変わってしまうことがある。

 

こうなってしまうと、経験上、良いものが作れなくなる気がする。

 

距離を置く、離れる以外の解決方法を知らないので、

それを見つけるのが課題である。

相互理解

未経験から始めた今の仕事について、

まあまあ中堅的な立場になってきたので、

若手の指導などをするようになってきた。

 

これまでも若い社員と仕事をすることがあったが、

人によって特性が全然違うのが面白くもあるし、

場合によってはなかなか苦労もする。

 

はじめのうちは何もわからないから、

与えられた仕事を受動的にやるしかないのだが、

そのときの取り組み方にセンスが問われると、最近思う。

 

与えられた仕事をただこなすだけなのか、

仕事をこなしつつも先々の仕事で動けるように考え、

先輩社員など周りの動きをよく見ておくのか、

大きく分けてどちらかのセンスに分かれるのではと思う。

 

技は見て盗め精神の強い大工の父の影響か、

私は後者を当然と思ってやってきたが、

どうやらそうでもなく、前者タイプもまあまあいるようだ。

(もしかしたらこちらのほうが多いのかもしれない)

 

 

前者の受け身タイプの人に、後者の考え方前提で話しても伝わらない。

考え方が違うのだから、当然だ。

 

同じ言語を話してるからと言って、

必ず意図が伝わると過信してはいけない。

相手の考え方を踏まえつつ、伝えなければいけない。

それが相互理解というやつなのだろう。

ギリギリの反骨心

ここ数年、バンドでのライブはできて年1回ペースだったが、

今年は既に2本敢行し、3本目を12/10に予定している。

 

12月についてはいろいろお誘いを頂いてたのだが、

諸々の都合を考慮して1本に絞らせて頂いた。

 

個人的には仕事のほうがまあまあ立て込んでおり、

いっそ全部断ってしまおうかと思いもしたが、

仕事なんぞに活動を制限されてたまるか、と反骨心が疼いた。

 

なんとかスタジオ練習の時間を捻出しながら、

当日に向けて仕上げている。

 

一層仕事のほうがバタバタし出したので、

どんな精神状態で当日を迎えるか見ものである。

 

 

そんなわけで12/10(金)両国SUNRIZEにて公演である。
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ワーカホリック

この頃は仕事がハードなようで、21~22時頃に帰宅することが多い。

 

遅い時間に夕飯を食べると体が変に活発になってしまい、

夜中の3時頃まで起きてしまう日々が続いている。

 

日によって遅出だったりするのだが、

朝7時起きの9時出社なんて日もあるものだから、

基本的に睡眠時間は少なく、慢性的に眠い日々だ。

 

体はそんな風に休みたがっているが、

心がどこかハードな状況を楽しんでる節があり、

なんとも不思議な感覚である。

(いわゆるワーカホリックというやつか)

 

現在8連勤中で、体的には明日代休を取ろうと思ってるが、

心はこのまま今週も休みなく突っ走ってやろうという気持ちがうっすらある。

 

「そろそろ休まないと仕事に支障をきたす」と悲鳴を上げる自分と、

「休みたいなんて甘えだ、農家は休みなんか無い」という、

農家出身でもないのにマウントを取ってくる自分がいて、

なかなか面白い精神状態にある。

 

ほどほどにしておこうと思う。

ラジオを聴く

いつからか流行の音楽は

YouTubeTikTokなどの動画サイトをきっかけに生まれている。

 

ある番組を見ていたら、

流行の音楽は映像とセットで生まれる、

というようなことを言われていて、

そう言われてしまうと、

それはなんだか音楽だけで評価されてないような気がしてしまった。

 

私も音楽を漁るときはYouTubeを活用していたが、

動画サイトなんかなかった小中学生の頃は、

ラジオにかじりついて音楽を漁っていたことを思い出し、

最近は通勤時などにラジオを聴くようにしている。

 

改めてラジオを聴いてみると、

視覚情報がないが故に、純粋に音楽を享受できることに気が付いた。

 

ラジオでたまたま聴いて少し気になったバンドがいて、

改めてYouTubeで調べて動画を見てみたのだが、

よくある若いバンドのMVって感じだったので、

YouTubeで先に聴いてたら違う印象だったかもしれないと思った。

 

動画で見てしまうと、

よくある構成のMVだったり、

アーティストの見た目だったり、

歌い手系によくあるアニメーションだったり、

視覚情報の先入観で印象が決まってしまってる部分があると感じる。

 

視覚情報が悪い、ということではないが、

情報を制限してみるのも、また違って良い。

聴力

生まれ持ってなのかは知らないが、

子供の頃から感音性難聴を患っている。

 

患っているといっても、

日常生活にさほど支障は無い程度。

 

高周波の電子音が聴こえなかったり、

聴こえる音量でも言葉がぼやけて聴こえたり、

ところどころ不便な程度。

 

社会生活をしていると、

数メートル先にいる人の声を、

すぐ隣にいる人は聞き取れているのに、

自分は全然聞こえなかったりと、

聴力の差を実感させられる場面が度々ある。

 

対面での会議なんかだと、

大半聞き取れなかったりする。

ここ最近は皆マスクをしているから、

尚更聞き取れなかったりする。

聞き返しても聞こえないことがあるから、

更に厄介である。

 

自分の聴力について考えていると、

平均レベルの聴力とはどんなもんなのかと気になる。

私の聴力で騒がしいと感じる蝉時雨も、

平均レベルの聴力だと更に騒がしく感じるのかとか、

私がバンドで鳴らす、自分で丁度いいと思う音量も、

平均レベルの聴力ではうるさいんだろうなとか。

 

そんなことを考えている、というだけの他愛のない話。