ちょうどいい生き方

ドキュメンタリーパンクバンドのGt/Voによるドキュメンタリー

メリハリ

仕事の現場が変わった。

現場ごとに作法など諸々違うので初めのうちは何かと戸惑う。

 

現場の仕事内容もあまりやったことのない分野なので、なお戸惑う。

焼き鳥しかやったことないのに、海鮮系の店に配属されたような感じ。

 

加えて、基本リモートワークとなり、

前の現場は出社メインだったため、

生活スタイルがガラッと変わった。

 

通勤のストレスがなくなるし、時間に余裕が生まれるが、

生活空間で仕事をするのでメリハリがつかなくなるというデメリットもある。

 

メリハリの部分がどうしても悩みどころで、

生活空間=仕事空間なので、プライベートの時間でも仕事のことを考えるようになったり、

タイミングによっては3日くらい外に出ないまま気持ちが淀んでしまったりする。

 

妻がパートの日は送り出したあと、始業まで小一時間余裕ができるのだが、

たいてい時間までスマホを見て寝転がっている。

最近は少しでも時間を有効活用したいと思い、

30〜40分、外を散歩して気分転換することを始めている。

 

効果があるかはわからないが、

メリハリの部分が少しでも解消できることを期待している。

ゆっくりとした時間

長めの休暇を取れたので、

妻と予定を合わせて熱海と伊東を旅行した。



f:id:johnny-coppola:20230323163524j:image


f:id:johnny-coppola:20230323163540j:image

 

熱海は山と海に囲まれた景色を楽しみながら、地元の料理を堪能できた。

 

伊東は人気もまばらな港町といった感じでゆっくりとした時間が流れていた。

 

4日ほどゆっくりとした時間に浸っていたせいか、

東京に戻ったらば、街の動きの速さについていけないような感覚に陥った。

 

我々にとっては非日常であったが、

その土地に住む人、商いをやる人にとってはそれが日常。

 

ゆっくりとした時間が嫌で都会に出ていく人もいれば、

目まぐるしく動く街に耐えかねて、ゆっくりとした町へ行く人もいる。

 

そうやってちょうどいい場所を探しに人は流れていくのかもしれない。

 

京都観光

昨秋頃から仕事でちょいちょい京都へ出張している。

宿と仕事場の往復で基本的に観光する時間はないのだが、

先日、少し時間ができたので3回目の京都出張にして、初めて観光してみることにした。

 

京都観光は中学の修学旅行以来で、

あの時はどこを回ったか、など思い出しながら地図を開く。

 

地図を見ながら思ったのは、有名なお寺は京都駅から大分離れているということ。

京都駅を中心にお寺が密集してるようなイメージでいたが、

京都駅から近いのは東寺くらいで、他のお寺はだいたい歩いて1時間以上かかる。

 

よくよく思い返せば、修学旅行の時はタクシーで移動していたので、それもそうかとは思う。

 

検討の結果、距離的に程よい、清水寺に歩いて行くことにした。

 

道中、牛若丸と弁慶で有名な五条大橋を渡る。f:id:johnny-coppola:20230212073206j:image

大橋というからには大きいのかと思いきや、

意外とそうでもなかった。

 

そんなこんなで清水寺に着く。

f:id:johnny-coppola:20230212073620j:image

お年寄りや時期的に学生さんが多く見受けられた。

多分、修学旅行でも来た気がするのだが、まったく懐かしいという思いにはならず、

ほぼ初めて来た感覚で敷地内を回った。

 

もう少し欲張りたかったので、さらに小一時間かけて南禅寺に行ってみた。

f:id:johnny-coppola:20230212074052j:image

直近、何かのテレビ番組で見た気がするので行った次第で、

特に何か思い入れがあったわけではない。

観光客も清水寺ほどおらず、

街から離れてることもあり落ち着いた雰囲気があった。

長居はできなかったが、時間があればこういうところでゆっくりするのもいい。

 

時間的に二箇所しか回れなかったが、

他にも回りたいお寺があったので、

改めてプライベートでゆっくりと旅行したいと思う。

言葉の重み

朝ドラの評判が悪いようで、

毎日のように批判の記事が目に入る。

 

ドラマ放送のリアルタイムでツイッターやら掲示板やらに書き込む人は

ちゃんとドラマを見られているのか前から不思議に思っている。

 

実際に「主人公が最初Aと言っていたのに、Bと言っていて信じられない」というようなコメントを見て、

その文章だけ読めば、だいぶ主人公はおかしな人物に感じられたのだが、

実際、そのシーンを再放送で見てみると、

Aの発言からBの発言に至るまでに、Cの発言がされていて、

CからBの発言に至るまではなんら違和感のない流れだった。

 

書き込みに集中していて見落としたのかはしらないが、

その投稿者は多分ちゃんと見られていなかったのだろうし、

そういった投稿をそのまま載せてる記事があれば、

そのライターもちゃんと見られてはいないのだと思う。

 

誰でも気軽に発信できる世になって、

言葉の重みが無くなってるように感じる。

人様に見られる言葉はもっと大事に紡ぎ出さねばと自戒する。

秋の訪れ

書きたいことがあって下書きまで済ませたのに、

ゆっくり推敲する時間を逃して、

下書きを開いた頃には風化してしまう。

 

その時の気持ちはその時に書き上げないといけないと思うと同時に、

時間が経って風化するのなら、それまでの気持ちなのだとも思う。

 

台風とともに夏を連れ去ったのか、

さっそく秋の匂いがし始めている。

もう少し段階を踏んでほしいところではある。

 

イメージ的な問題なのか、

実体験に基づくものなのか、

秋は少し心がスンとする。

 

その空気に飲まれながら、飲まれすぎないようにやり過ごす。

 

久々のストレス

先日、健康診断があった。

貴金属は外してとあったので、念の為、補聴器は外して臨んだ。

 

寝るときと入浴の前後以外はだいたい補聴器を付けてる生活を送っているため、

自宅以外で補聴器を外して行動するのは久々だった。

 

日常生活で困らない程度の聴力があるとはいえ、

聞こえないことはないが聞き取るのが一苦労だった。

かつて当たり前だった、聞き取れないことのストレスを久々に感じた。

当たり前すぎてストレスとは思ってなかったが、

だいぶストレスだったんだと改めて思う。

 

そんな久々のストレスの中で、嬉しいこともあった。

昨年の診断で、聴力が弱い旨を話したことが共有されていたようで、

「このあと予定通り聴力検査を受けられますか」と聞かれたり、

内科の先生なんかは大きめな声ではっきり話してくれていた。

思わぬ気遣いだったので有難かった。

15周年

Jonathan chop'88というバンドを始めて

この夏で15年経つらしい。

 

元はスリーピースで活動していたが、

ベースの仕事の多忙により、結成4年目にして活動休止。

 

同時期に大学卒業で就職したこともあり、

このまま自然消滅するかと思っていたが、

ツーピースでもやってみないかという周りの声を受け、

現在の体制で活動再開。

 

ツーピースになってからは周りのご縁に恵まれ、

レコ発をやったり、企画をやったり、精力的に活動するも、

ドラムの結婚やら子供が生まれるやらで、再度活動休止。

 

そこからはソロで活動したり、サポートドラマーを迎えてバンドをやったり、灯を消さないようにやってきた。

 

灯を消さないようにしてきた、というよりは、

周りの人が灯を消さないように仕向けてくれたと言ったほうが正しいかもしれない。

 

有難いことに「そろそろジョナサンを見たい」なんていう声を頂き、

すべてに応えられておらず心苦しいが、

応えられる限りで応えている。

 

明示的に解散をするつもりもないし、

ずっと続けていくという確証もない。

自然消滅するならするで仕方がないとは思っている。

ただ流れるままに流れていく。

 

その流れの中でまた出会えたら、どうか耳を傾けてもらえればと思う。