流されて生きる
自分の意思を持って、主体的に動くのが良しとされるけど、
受動的に生きるのも、それほど悪くはないと思うことがある。
私の父の話であるが、
酪農家の次男として生まれ、将来はどうしようかと言うときに、
父の兄、つまり私の伯父が、
「記者になるため東京の大学に行く」ということになり、
「じゃあ家業はお前が継げ」と、父が酪農家を継ぐ方向になったという。
しかし、そのうち伯父が大学を中退し、実家に戻り家業を継ぐ、ということになったらしい。
すると、「お前は東京の親戚のところで、大工でもやれ」と言われ、
父は上京し、大工になったという。
そこから今日まで、父は大工として生きてきた。
大工になれ、と言われたときに、葛藤があったのかは知らないが、
今では大工で得た技術で、木工細工の小物を作って、
ハンドメイド系の店が集まるイベントに出店したりしている。
流れに逆らうのも人生ならば、
流れに身を委ねてみるのも人生。
時折、私自身、周りに流されてしまってるな、と思うことがあるが、
いつも父の話を思い出しては、それでもいいか、と思うようにしている。