漫才から感じたこと
先日、テレビでM-1グランプリを見た。
ネタの良し悪しはとか、間合いとか、
専門家でもないので、あまりよくわからないが、
台本通りに台詞を言っているだけなのか、
台本を基に役を生きているのか、
そういう部分って案外画面越しに伝わってくるものだと感じた。
大舞台というのもあり、演者によっては、
緊張感が表面に出すぎているというのもあるかもしれない。
台本を基に役を生き、かつ会場の空気をものにできた漫才は、
いい音楽ライブに遭遇した時の感覚に似ていた。
練習通りのパフォーマンスをステージ上で見せて完結するのではなく、
本番特有の空気感が相まって、会場全体で一つのグルーヴを作り出すような感覚。
観客の気を引き寄せる、いわゆるツカミというのも、
演者ごとに違っていて面白かった。
初っぱなから勢いで掴んでいくのもあれば、
静かなところから急にガッと掴むものもあった。
ツカミがうまくハマらず、残念な流れになったものもあったと思う。
そういった点が音楽ライブと似ていると気づき
、いつもと違う視点で楽しめた。
これまでのM-1で個人的に印象深かった場面としては、
2008年大会で敗者復活枠で上がってきたオードリーが一番記憶に残っている。
その年にネタ見せ番組に出始めたくらいで、
世間的にはまだ知名度が低かったこともあり、
春日氏の得体の知れないキャラクターは見事に会場の空気をかっさらっていた。
結果的には準優勝に終わったが、
このまま優勝するのではないかと思えるくらいの無敵感で、
会場どころか、大会全体の空気さえ掴んでいたようにも思う。
思えば、その後のバンド活動において、
ライブで作りたい空気感をイメージするとき、
M-1のオードリーの漫才が根底にあったのかもしれない。
漫才も音楽も、畑は違えど、影響される部分って結構あるのかも、と思う今日この頃である。